「ジャイアンツ」
●テキサスを舞台にした理想の夫婦像の模索と、逆流する映画のハート!

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野球のジャイアンツは映画の心とは正反対のところに位置する存在ですが、映画の「ジャイアンツ」は優れて映画のハートに充ちて、幾度観てもその映画の血脈に引き寄せられてしまいます。

冒頭からデミトリ・ティオムキンの壮麗なテーマが鳴り響き、大いに期待を膨らませる壮大な世界の開幕を知らされます。
西部から東部へ、東部から西部へ、この映画の舞台は列車で運ばれるごと、一変します。星条旗を描くとき、テキサス州の人はひとつ大きな星を描き、
これがテキサス、と示すということを聞いたことがあります。

そのテキサスの大牧場主ビック・ベネディクトが評判の馬を求めて、東部メリーランドのリントン家にやってきます。
そこに長女レズリーがいるわけですが、ふたりの出会いから帰りのテキサスへ向かうまるで新婚旅行みたいなふたりの列車内の姿まで、ふたりの一挙手一投足、注視して余りある見ものであります。

その視線の絡まり合い、互いの意識、わざわざ気を損ねるかのレズリーのことば、まるで若い女性が気に入った男性を篭絡する隠れた手管が、ここにはあると、そんなことまで言いたくなるほど、どちらかといえばレズリー主導の若い男女のする、キャッチ・ボールがさもありなんと感じられる、優れた見ものです。

この二人の夫婦像は、ドラマの関わりを抜きにしても、アメリカの理想の夫婦像を模索して描かれているという一面で見ると、なかなか丁々発止の魅力ある映像が続きます。
頑固に信じる旧習を守ろうとする夫と、意に沿わぬことは正面から抵抗する妻、そのふたりに不穏な空気が流れそうなとき、「君のその怒った顔が好きだ」と言うそのセリフ、これは使える!などと、思春期の筆者は思ったものであります。

夫婦愛というものが大きな縦糸で、その変遷がしっかり点描されて、映画の柱であることはこの映画の魅力の大きなパートであります。
そして、ビックの姉ラズに目を掛けられた使用人ジェット・リンクが、ラズの死によって、小さな土地を遺産として譲り受けることで状況はまた変転するわけです。このジェット・リンクの存在の大きさは映画の主題を分散させている主原因と言えますが、それはむしろ流れの中で存在が大きくなってしまった、映画という媒体が生む必然だったとも言えます。

ジェット・リンクはビックに較べてひとことで言えば恵まれない奴、貧乏で財産もないその日暮らしの人物ですが、この恵まれた人物と恵まれない奴との対比、争闘は、映画の始源からある映画の命脈、映画のハートと言っていいもので、勧善懲悪ドラマからヒーローものまで、その底にはこの構図が必ず見え隠れしています。

そして映画はそんな恵まれない奴が、乾坤一擲の逆流する命で勝負を挑むとき、もっともその力を発揮する媒体で、現実以上のパーセンテイジでその逆襲は成功することとなるのです。その映画が、脈々と培ってきた映画のハート、ソウルとでも呼べるものがジェット・リンクにも流れており、分裂を招いて見えるのはモラルや善悪の基準で、このジェット・リンクを裁いてしまったせい、とも言えます。
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posted by 映画貴族ニャン at 11:36 | Comment(0) | TrackBack(1) | 人生>ジャイアンツ
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