フェルメールの絵画「真珠の耳飾りの少女」は、グイド・レーニ『ベアトリーチェ・チェンチの肖像』をフェルメールが知って参考にしたのではないか?とも言われています。
⇒ http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/picture/041218.htm
ベアトリーチェ・チェンチは、スタンダールの「チェンチ一族」という短編にもあきらかですが、当時ヨーロッパではよく知られた事件でもあったのでしょう。
なるほど構図といい表情といい、なにより瞳のありように近いものを感じて不思議でありません。グイド・レーニは1599年ベアトリーチェの処刑直前に実際の本人と会って描いたとされ、25歳のときの作のようです。
……という前段は、この映画の見どころが、全編フェルメールしている! そのことに尽きるからです。元々命の通っている絵の中の少女が、そのまま動き、生活観さえ漂わせながら、画面に存在している。
しかもそれが生きて動いているだけではなくて、その色合い、その衣装、その表情、その時代、すべてがあたかもフェルメールが生きていたそのときに、タイム・スリップしたかの雰囲気です。
良くぞここまでという、想像(創造)の中のそっくりサン、かもしれません。そのまんなかにいるのが、スカーレット・ヨハンソン。撮影時19歳?
お母さんがメラニーだったので、娘にこの名をつけたという「風と共に去りぬ」にその名を因む。
8歳のときにオフ・ブロードウェイの舞台を踏んで、11歳の時には「のら猫の日記」という映画でインディペンデント・スピリット賞の 主演女優賞にノミネート、幼き頃よりの女優志向が花開きつつあるホープ。
全編フェルメールしている!のは、彼女だけではありません。
ときにその構図、その光と影、その調度色彩、フェルメールのほかの絵さえ
ここに引っ越してきている! と感じさせるほど、ワンショット、ワンショットが、その趣味のある方には惚れ惚れの絵空間です。
ドラマは、ですからすべてその絵空間に奉仕するためにのみ、ささやかに綴られています。原作もあるようですが、ささやかな仮説にとどめ、あまりドラマチックな構成ではありません。
ひたすら絵画としての空間を画面に投影させる意図で造られている、そう感じさせるものがあります。
絵の中の少女がつけている真珠の耳飾りも小道具として、それがフェルメールの妻のものという仮説で、少女への嫉妬に狂った妻の興奮も出てきますが、その表情自体が絵画に奉仕していく――絵空間に収斂していく、そんな映画であると考えていただくと良いかもしれません。続きを読む
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