「スミス都へ行く」
●古き良きアメリカの良心と、その理想のみずみずしさ!

スミス都へ行く1.jpg スミス都へ行く6.jpg
20年を過ぎて再見してみたが、そのスリリングな正義への闘い、やっぱり血沸き肉躍ったね。主演のジェームス・スチュアートは当初西部劇から見知ったので、まさしくこのスターの原点がここにあるという想いで大いに新発見だった。このスチュアートを知らずしてたとえば「リバティ・バランスを射った男」('62)を見たとして、その印象も異なって見えるだろう。
同じことはジーン・アーサーにも言えて、最終作「シェーン」('53)からスタートしてその真価を知るのは'30年代諸作を見てこそ、ということになる。

そして、やっぱりフランク・キャプラなんだよね。もう既にいま見ることのできるそのほとんどを把握したからこそ言えるこの<アメリカの良心>なのである。古き良きアメリカの理想、なのである。キャプラにもさらに同じことが言えて名前ばかりが聞こえてきてその最初が晩年の「波も涙も暖かい」('59)で??? ようやくこの「スミス都へ行く」('39)MR. SMITH GOES TO WASHINGTONですべて合点がいったわけである。

スミス都へ行く14.jpgリンカーンの彫像をメルクマールのようにスミスのスターティング・ブロックとしたその心意気、こっぴどい挫折のあと里帰りまえに再来するのを予期してスミスを待ち受けるクラリッサ、そのスクラムの充実は、まさにいま新大統領オバマが同じくリンカーンをシンボルにしているのと重なる心意気なのである。いつの時代にもアメリカの原点にはここがあり、アメリカ映画の原点にはこの作品がある、というめくるめくがごとき理想の具象ではある。

一点の濁りなき田舎者が汚濁の政界の渦中で翻弄され捨て去られる中の乾坤一擲、最後の不退転の演説は同じキャプラが「オペラハット」('36)つまりはMR. DEEDS GOES TO TOWNのゲーリー・クーパーで実験済みとはいえ、やはり幾多のキャプラの、これは集大成、クーパー&アーサー・コンビといい、このスチュアート&アーサー・コンビといい、みずみずしくも心洗われる、'30年代も終わりを告げようかというときの、これは才能が頻出した'30年代映画の集成でもあろうか。
スミス都へ行く12.jpg スミス都へ行く15.jpg
脚本のシドニー・バックマンにはなぜ輸入が無かったのか不思議なほどの名品「希望の降る街」('42)もある。
いつも渋くその存在の鮮明を示すクロード・レインズ、エドワード・アーノルドもまた対峙する強大な壁を、やわでないプロの味わいで見せた。珍しくエンドマークのバックはコロンビアの輝く自由の女神、まさしく誇りに溢れたコロンビアの資産というべき作品なのである。(たとえ今ソニー・ピクチュアズであったとしても、キャプラ作品は映画史上のアメリカの誇りなのである)

スミス都へ行く18.jpg人気ホームページランキングへ

スミス都へ行く」MR. SMITH GOES TO WASHINGTON
(1939/129分/米コロンビア)
製作・監督:フランク・キャプラ
脚本:シドニー・バックマン
撮影:ジョセフ・ウォーカー
音楽:ディミトリ・ティオムキン
出演: ジェームズ・スチュワート、ジーン・アーサー、クロード・レインズ、エドワード・アーノルド、ガイ・キビー、トーマス・ミッチェル

スポンサードリンク
posted by 映画貴族ニャン at 15:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | 黄金の’30年代>スミス都へ行く
Copyright(C)2009by輝ける映画のときめきAll rights reserved
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。